[資料1]
案内状はがき
1963年(昭和38年7月6日〜16日)/関内ギャラリー
第1回神奈川光風会展記念写真/玄関前にて
(左から、馬渕 聖、樋口善一、桜庭彦治、越後島芳明、手前の不明者の後ろは藤江理三郎、河井清一、辻 永、大河内信敬、手前の画廊関係者の後ろは中田幾久治、山本彪一、井口 啓、画廊関係者、大道健治、鳥居 昇)(国領経郎は欠席)
同記念写真/会場内にて
(前列左から、樋口善一、桜庭彦治、一人おいて越後島芳明、中田幾久治、鳥居 昇、中段真ん中、辻 永、後列左から、大道健治、藤江理三郎、河井清一、大河内信敬、山本彪一、画廊オーナー、馬渕 聖、画廊関係者)(国領経郎は欠席)
[資料2]
[資料4]
第35回記念案内状はがき
2000年(平成12年)/銀座アートホール
第30回記念光風会神奈川支部展記念写真
1995年(平成7年)/東京セントラルアネックス
第40回記念光風会神奈川支部展記念写真
2005年(平成17年)/銀座アートホール
[資料5]
[資料6]
光風会会員 |
秋山昭子 我妻清一 阿部和美 |
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光風会会友 |
川又秀子 関口美樹也 藤澤正子 |
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一般出品者 |
稲田博子 岡部一成 香取恭三 |
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1963年(昭和38年)春、桜庭彦治、馬渕 聖、鳥居 昇などが中心となり神奈川県在住の会員に働きかけて「神奈川光風会」(当時の理事長、辻永の命名)が創立された。
「第1回神奈川光風会展」は創立会員12名の出品により開催された。
会 期 |
: |
昭和38年7月6日〜16日 |
会 場 |
: |
関内ギャラリー |
出品者 |
: |
辻 永(賛助出品) |
(資料1の案内状ハガキ、出品者の記念写真を参照)
(資料2の創立会員の作品を参照)
創立の翌1964年(昭和39年)には「第2回神奈川光風会展」が関内ギャラリーで開催され、この年「光風会展」の50周年を記念して横浜・高島屋の画廊でも同時開催された。「神奈川光風会展」は昭和42年の第5回展までは関内ギャラリーで開催された。同じ年、昭和42年に当時桜木町駅近くにあった「横浜市民ギャラリー」を会場として創立会員のほか光風会展に出品している会友、一般出品者も含めて「第1回神奈川光風会同人展」が開催された。
「神奈川光風会同人展」は1989年(昭和64年・平成元年)の第23回展まで開催され、このあと平成2年から再度「神奈川光風会展」と名称を変更して1998年(平成10年)の第33回展まで開催。1999年(平成11年)からは「光風会神奈川支部展」と名称を変更して現在まで連続して開催(平成24年時・第47回展)されている。
また、1996年(平成8年)開催の「第30回記念・神奈川光風会展」は例年の横浜市民ギャラリーを離れ東京銀座の「東京セントラルアネックス」で開催。「第35回記念・光風会神奈川支部展」と「第40回記念・光風会神奈川支部展」は東京銀座の「銀座アートホール」で開催された。平成22年には「第45回記念・光風会神奈川支部展」を横浜市民ギャラリーで開催し神奈川支部の歴史をふり返る企画展示のコーナーを設けた。
その他、1980年(昭和55年)から1995年(平成7年)にかけて毎年秋には、山下公園そばの郵便貯金会館で50号以下の作品を中心に「神奈川光風会同人秋季展」も開催された。
(資料4の記念展の集合写真、案内状ハガキを参照)
〇創立会員の12名の方々
〇評議員などを務めて支部員の指導にあたった方々
桜庭彦治、馬渕 聖、山田茂人、桐生照子、遠藤原三
〇支部で事務所を歴任された方々
井口 啓、新井康須雄、阿部和美、石田精吾、梅村道子
飯島義也、山田茂人、足立真一郎、石田茂嗣、矢野雅章、杉田義雄、藤井芳子、土志田秀吉、後藤直秀、新井康須雄
(資料5の作品写真を参照)
2011年(平成23年)、日展審査員を務め今年度、光風会監事に就任した遠藤原三を中心に光風会会員23名、光風会会友6名、一般出品者16名のメンバーで構成されている。(神奈川支部の連絡所は現在、蛯原祥二が務めている。)近年は支部展開催などを利用し光風会展のPRをして出品者が増えるよう努めている。
支部の活動としては支部展の開催に加え研究会の開催がある。毎年4月開催の国立新美術館の本展に向けては、2月と3月の2回(2回目は本部より講師を迎え)、研究会を横浜情報文化センターで実施。毎年6月開催の「光風会神奈川支部展」に向けては、5月に研究会を実施。そして、秋の日展に向けては8月末と9月末の2回(2回目は本部より講師を迎え)、研究会をそれぞれ実施している。
なお、毎年6月には「光風会神奈川支部展」をJR関内駅前の横浜市民ギャラリーで約40年開催してきたが、耐震の問題で建物を取り壊すことになり、平成25年以降の会場確保などが懸案となっている。
(執筆者/蛯原祥二)