光風会各支部(地区)史

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●執筆内容は2013年4月現在のものです

城南地区の歴史

主な光風会展受賞者

[資料1]


中村次雄

(中村研一賞・西山真一賞)


尾崎倖子

(鬼頭鍋三郎賞・西山真一賞・中沢弘光賞・会友賞)


豊田信也

(光風会会員賞・新道 繁賞・会友賞×2・光風賞)


城南研究会概略

[資料2]


受講生

例年50名前後

開講日

春/春分の日 秋/秋分の日

第100回記念光風会展を契機に「城南研究会」の歴史を振り返り、偉大な先輩方を思い出し、教えていただいた様々なことをこの機会にじっくりと考えて、現在の私たちのあり方をもう一度見つめ直し、更なる前進を望みたいものです。

(編者注:「私」とは西山松生先生)が高校へ入学した頃ですから1958年(昭和33年)頃を思い出します。当時、父・真一のもとに山田茂人、荒井康須雄、樋口善一、加藤直子、石田精吾、中村次雄、山本虎雄、竹村 茂、野田真次郎、坂本年代、泉川真輝、日影喜代子ほか、大勢の皆さんが世田谷下馬のアトリエで絵の研鑽をされていました。近所にお住まいの南 政善先生をお迎えして研究会が行われた様子を覚えています。先生は父と仲良しで終始ご機嫌で指導してくださいました。二人とも愛煙家で酒豪。出された紅茶になみなみとウヰスキーを入れていました。終了後は酒宴。皆さんと絵の世界に夢中でした。

また、山田茂人さんが先導で皆さんを連れて辻永先生、中村研一先生、田村一男先生、新道 繁先生、その他の先生のアトリエを訪問し、作品を巻いたり二枚重ねにしたり二つに折り曲げたり工夫し持参し、作品を直接大先生に見ていただきお教えをいただきました。そして帰りに父のアトリエに寄った皆さんから報告を受ける時、父は嬉しそうに、「そうか、そうか」と頷いていました。

昭和35年頃、山田茂人さんから聞いた話ですが、東京を中央線を挟んで南を「城南」、北は「池袋」「小金井」の各研究会と呼ぶようになったと教えてくださいました。

父と同じ辻永先生門下の山下忠平先生が大田区馬込にお住まいでした。その先生のアトリエで西山塾のメンバーがお邪魔に上がり御門下の佐川忠金先生、阿部和美さん、児玉 嶄さん、石田茂嗣さん、佐川先生門下の豊田信也さん、尾崎倖子さん、野村松庫さん、中川ちかえさんらと合同で研究会が催されました。この合同研究会が城南研究会の第1回となるのだと思います。続いて世田谷松原の山口猛彦先生のアトリエでも開催されました。山口先生のアトリエの棚の壷に愛用の筆が差してあったのですが、そのお手入れの美しいことに驚きました。さすがにカラーリストだと感じました。

この頃、中村次雄さんが世田谷区深沢の学芸大学附属中学校の美術教諭になられました。そこで研究会の会場をお引き受けくださり、退官なさる平成4年までの長い長い間お世話してくださいました。この当時の受講生は、西山塾、山下塾、佐川塾、それに三重四日市から小林藤四郎先生と門下生、世田谷のお住まいだと思うのですが城南ということで若林若菜さん、金井恵子さん、ほか約50名でした。

また、講師は山下忠平、西山真一、佐川忠金、山田茂人、各氏が中心に、辻 朗、庄司栄吉、阪倉宣暢、溝江勘二、三宅次郎、各先生には本当に真剣に絵をご覧になりお話をしてくださいました。

山下忠平先生からは「先ず自然から学び、それを新たに自分で作曲するように描こう」と、また、父・真一は「分からなくなったら現場で絵を破壊し、もう一度自然から学べ」と。

佐川忠金先生、山田茂人先生には受講生の作品に紙を貼ってみたり、パステルで少し色を付けてみたりと様々に工夫なさり分かりやすく、指導がすぐ効果として表れるように理解しやすく教えていただきました。

辻朗先生からは口数少なく「対象への思い込みを大切に」と、素朴にお教えを受けました。阪倉宣暢先生からはデッサンの狂いは勿論、バルールの正確さを強く求められました。溝江勘二先生からは形のデフォルメの必要なことを教わりました。また、三宅次郎先生の辛口の批評は女性陣に人気がありました。

最後に、皆が敬愛してやまない庄司栄吉先生からは作品の品位について、情感の盛り上がり、動き、これらすべて、色・形・タッチ・マチエルの関係で成立していることを繰り返し教えていただきました。

中村次雄さんが平成4年に学芸大学を退官なさり、それでもしばらく同校を会場にお願いしたのですがそれが出来なくなり、佐川忠金先生門下の北澤久美子さんが教諭としてお勤めになっている目黒区立碑小学校で、長い間お世話になりました。歴史を感じさせる落ち着きのある校庭が印象にあります。昼休みに庄司先生、辻先生、佐川先生と近所を散歩した懐かしい光景が思い出されます。

その間、昭和49年に辻永先生、昭和51年に南 政善先生、昭和54年に山口猛彦先生、平成元年に父・西山真一、平成3年には山田茂人先生がお亡くなりになられ寂しくなったのですが、庄司先生を中心に佐川先生、いつからか私も参加して研究会を続けてきました。北澤久美子さんも教職から退官なさり、豊田信也さんのご尽力で目黒区立五本松小学校(この時、寺坂公雄先生に講師で来ていただきました)、世田谷区立玉川小学校上野毛区民集会所と、その都度申し込んでくださり会場を確保してくださいました。平成19年頃からその年の日展には審査員お一人が講師としてお教えくださいました。寺坂公雄先生、金山桂子先生、池山阿有先生、町田博文先生、竹久秀樹先生がお務めくださいました。

また、その後お亡くなりになられた先生方は、平成7年に石田茂嗣先生、平成10年に阪倉宣暢先生、平成13年に児玉 嶄先生、平成17年に竹村 茂先生、平成19年に中川ちかえ先生、平成22年に新井康須雄先生、平成23年には加藤直子先生です。石田茂嗣さんからは光風だより係の時、随分と色々なことを教えてくださいました。児玉 嶄さんとは大いに酒を酌み交わしたものです。新井康須雄さんの前歯が2本折れた笑顔は忘れられません。加藤直子さんの豪快な歩きっぷりも強く印象に残っています。

現在の城南研究会は、庄司栄吉先生ご一同と金山桂子先生ご一同が加わり、会長の庄司先生には95歳になられご無理も出来ず、平成24年はご欠席で、研究会には佐川先生がご病気療養中にもかかわらず車いすにてお越しくださり、深いご指導をくださいまして全員感銘を受けました。素晴らしくお元気で意欲を燃やしておられ心強い限りです。個性豊かな、伸び伸びとした晴れやかな、また、情感に溢れるしっとりとした‥作品をと、いただいたお教えを旨に一人ひとりの課題として絵を描き続けられる。‥そのような研究会でありたいと願っています。

上記の皆さんの次に、会員では、西田藤三郎、岡田容吉、武田佐吉、岩崎政子、大井順子、大滝けい子、北澤久美子、桜川洋子、会友では、北濃有子、小松瑛子、清水知子、千田あき、江利川君子、黒川敬子(敬称略)の方々が活躍されています。

(執筆者/西山松生)