設立趣意書

光風會 設立趣意書(1912年)

私共今度新に光風會と云ふ名の下に洋畫展覧會を開く事になりました 光風會と名は付けましたが舊白馬會より發刊しました雜誌光風に因むだ訳ではありません 私共名は何でも構わぬと申す主義で最初柏葉會と名付けました處が同名の會が既に古くから他に在つたことに氣が付き更に北斗會と改めました すると又偶然にも其名も立派にあるので終に光風會と極めました

是迄の前例によりますと新に展覧會を開くに就ては多少新しい何か主張が無ければならぬことになつて居ます 實際無くても強て看板が必要だから無理にも拵へたものです 世間の人々も亦その看板の如何を見て歡迎もすれば冷遇も致します 私共も何か看板の必要は能く知つて居ます 然るに光風會には何等特別の主張とか抱負と云ふ所謂看板なるものがありません 恰度春が來て無意識に咲た野の草花の様なものです 人工で拵上げた花壇で無くて野生の草花だから花の種類は決して立派に揃つて居ません 私共は單に自分等の為の専有の花壇を造つたと云ふよりも寧ろ隠れた無名の花を自由に紹介する広い花園を開拓したのであります 既に御断りを致した通り未だ荒寥たる原野同然でありますから別に世間に発表すべき誇るに足る設備が無いかも知れません 奈何に立派なものであらうと云ふ希望を持たれる諸士には或は聊か失望を呈するかも知れません 然しそれは私共の最初からの覺悟です 唯光風會の主意が奈邊にあるかを知られたら直に御了解くださる事と存します 光風會は即ち既成品で無くて未成品だと御承知願ます 同情ある世間からの御忠告や御示導は私共出來得る限り悦んで御受を致す筈です 寧ろそれ等の御好意により追々理想に近い完全したものとする事を熱望致して居ります 兎に角私共の藝術には或は何等新しい色も匂も無く極めて月並なものだといふ誹謗は免かれぬかと思ひますが出品中には發起人以外諸先輩並びに新進作家諸君の佳作も尠からぬ事と信します 何卒以上の次第を御承知の上御高評の榮を得たいと發起人一同希望して居ります

明治四拾五年六月

光風會發起人
中澤弘光
山本森之助
三宅克己
杉浦非水
岡野 榮
小林鍾吉
跡見 泰


【現代語訳】


私たちは今回、新たに光風会という名前で洋画展を開くことにしました。光風会と名付けましたが、旧白馬会から発刊した雑誌光風にちなんだわけではありません。
私たちは名前は何でもいいという主義で、最初は柏葉会と名付けましたが、同名の会がすでに昔から他にあったことに気づき、さらに北斗会と改めました。するとまた偶然にもその名も立派にあるので、ついに光風会と決めました。


これまでの前例に従えば、新しく展覧会を開くにあたっては、少しでも新しい何か主張がなければならないことになっています。実際なくても、せめて看板が必要だから無理にでも作ったものです。世間の人々も、その看板のいかんを見て歓迎したり冷遇したりします。私たちも何か看板の必要はよくわかっています。
しかし、光風会には何も特別な主張や抱負といういわゆる看板なるものがありません。
まさに春が来て無意識に咲いた野の草花のようなものです。人工で作り上げた花壇ではなくて、野生の草花だから、花の種類は決して立派にそろっていません。
私たちは単に自分たちのための専有の花壇を作ったというよりも、むしろ隠れた無名の花を自由に紹介する広い花園を開拓したのです。
すでにお断りした通り、まだ荒れ果てた原野のようなものですから、別に世間に発表すべき誇るに値する設備がないかもしれません。どうせ立派なものであろうという希望を持たれる諸氏には、おそらく少し失望を与えるかもしれません。しかし、それは私たちの最初からの覚悟です。ただ、光風会の主旨がどこにあるかを知っていただければ、すぐにご理解いただけることと思います。
光風会はつまり既成品ではなくて未成品だとご承知ください。
同情ある世間からのご忠告やご指導は、私たちできる限り喜んで受けるつもりです。むしろ、それらのご好意によって次第に理想に近い完全なものとすることを熱望しています。
とにかく、私たちの芸術には、何も新しい色も香りもなく、極めて月並みなものだという中傷は免れないかと思い ますが、出品中には発起人以外の先輩や新進作家の佳作も少なくないことと信じます。
何卒、以上の次第をご承知の上、ご高評の栄を得たいと発起人一同希望しています。

明治45年6月

  • 第1回展目録掲載の設立趣意書[複写](1912年)

  • 光風会1回展(1912年)
    左より三宅克己、中澤弘光、小林鍾吉、山本森之助、岡野 榮、三人おいて跡見 泰

  • 光風会1回展(1912年)
    左より三宅克己、中澤弘光、小林鍾吉、山本森之助、岡野 榮、三人おいて跡見 泰